<津軽民謡の流れ> ※敬称略
大正時代の初めころに北津軽郡の嘉瀬の桃太郎が日本で最初にじょんがら節
を弾き語りで唄ったのが始まりです。
その後、芸人たちは一座を組み、どさ廻り(巡業)で北海道など当時賑わっていた港町や炭鉱の町で人々を楽しませました。芸人たちはさらにお客を喜ばせようと競いながらそれぞれの芸に磨きをかけて行きました。長谷川栄八郎や原田栄次郎たちは通常の唄だけでは物足りなくなり、多彩な芸でお客を喜ばせました。民謡だけではなく、浪曲や踊り・漫才などを加え、また津軽民謡の歌詞も面白おかしく作詞をし、いわゆる漫芸といわれる唄を歌い客の心を曳きこんでいきました。
近年、芸人たちは時代の流れとともに都会に仕事を求めるようになり、特に東京浅草界隈の民謡酒場などで唄ったり踊ったりするようになりました。
今重三や浅利みき・三代目長谷川栄八郎・工藤君江などの大御所が東京にでていき間もなく、原田栄次郎・福士政勝・三浦節子・山田百合子・大瀬清美(私の師匠)など東京へと出て行きました。それぞれ東京や近県に住を構えながら、舞台や民謡酒場で活躍、それぞれの流派をかかげ今の民謡の発展に大きく寄与しました。
現在では、かたくなに青森に残り津軽民謡の発展に寄与した山田千里等の熱意と努力で、毎年花見の季節に津軽三味線の大会が行われるようになりました。現在は全国的な大会に発展し津軽三味線や津軽民謡のプロ演奏家への登竜門としての一つに位置付られるようになりました。
しかしながら、現在でも民謡酒場などで修業と実績を重ねた者たちが、本当の意味のプロフェッショナルではないかと思います。
たかが民謡・されど民謡・・・奥が深いですヨ
先人達の歴史を大切に日本民謡と津軽三味線の普及・継承に
正絃会会員は努力いたしております
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